『おばあちゃんが死ぬ前に億万長者になる方法』(原題:หลานม่า)は、教科書では拾いにくい家族同士のくだけた会話、感情表現、介護をめぐる言葉、お金や人生についての印象的なセリフが数多く登場します。
この記事では、映画のタイ語字幕をもとに、実際に作品内で使われたタイ語を取り上げます。タイ語はタイ語(カタカナ読み)の形で示し、意味だけでなく、どんな場面で使われたのか、日常でも使いやすいか、強い口語ではないかまで見ていきます。
※物語後半のセリフも扱うため、ネタバレを含みます。
※カタカナは発音の目安です。声調や母音・子音の細かな違いは実際の音声でも確認してください。
作品のあらすじと、この映画で学べるタイ語
主人公のMは、ゲームをしながら大金を得ることを夢見る青年です。清明節の墓参りでもゲームに夢中になり、母親や親戚から小言を言われるような生活を送っています。
そんな中、祖母が病院で検査を受け、末期がんで余命が長くないことを家族が知ります。Mはやがて祖母の家へ通い、生活や仕事を手伝うようになります。ただし、その始まりには祖母の財産や相続への思惑もあり、家族の間では「誰が祖母の面倒を見るのか」「財産は誰に渡るのか」という話が繰り返されます。
しかし、祖母と食事をし、働き、病院へ付き添い、昔の家族の話を聞くうちに、Mと祖母の関係は少しずつ変わっていきます。この映画で繰り返し描かれるのは、誰が一番愛されているのか、誰が財産を受け取るのか、そして誰が相手のために時間を使ったのかという問いです。
タイ語学習の題材として見ると、家族の呼び方、感情、介護、お金、食事、質問、冗談、強い口語まで、かなり幅広い会話が拾えます。
まず覚えておきたい10表現
| タイ語 | 意味 | ポイント |
|---|---|---|
| หมดกำลังใจ(モット・ガムランジャイ) | 心が折れる、気力を失う | 感情表現 |
| รักใครสุด(ラック・クライ・スット) | 誰が一番好き? | 家族愛にも使う รัก(ラック) |
| ไม่ดีใจเหรอ(マイ・ディージャイ・ロー) | うれしくないの? | 感情+質問 |
| ขอติดไปด้วยได้เปล่า(コー・ティット・パイ・ドゥアイ・ダイ・プラーオ) | 一緒に乗せていってもいい? | お願い・可否確認 |
| อ่านไลน์…หรือยัง(アーン・ライン…ルー・ヤン) | LINEもう読んだ? | 「もう~した?」という確認 |
| ขอทำใจก่อน(コー・タムジャイ・ゴーン) | 心の準備をさせて | 気持ちを整理する |
| ขอบใจ(コープチャイ) | ありがとう | 親しい間柄 |
| ไม่เป็นไร(マイペンライ) | 大丈夫、気にしないで、結構です | 文脈で意味が変わる |
| ดูแล(ドゥーレー) | 世話をする、面倒を見る | 介護の場面で重要 |
| เวลา(ウェーラー) | 時間 | 作品全体の重要語 |
質問の作り方はタイ語の疑問文、動詞の基本はタイ語の基本動詞、短い定番表現はタイ語の基本フレーズ100選でも確認できます。
日常会話と感情表現|そのまま覚えやすいセリフ
หมดกำลังใจ(モット・ガムランジャイ)|心が折れる
กำลังใจ(ガムランジャイ)は、気力や心の支えに関係する言葉です。หมดกำลังใจ(モット・ガムランジャイ)になると、「気力をなくす」「やる気を失う」「心が折れる」に近い感覚になります。この場面では、相手の言葉を受けて気持ちが沈んだことを表しています。
รักใครสุด(ラック・クライ・スット)|誰が一番好き?
和訳:誰が一番好き?
รัก(ラック)は「愛する」、ใคร(クライ)は「誰」、สุด(スット)は「最も」。この映画では「祖母に一番愛されているのは誰か」という話が何度も出てきます。恋愛だけでなく、家族への愛情にも รัก(ラック)が使われる実例です。
ไม่ดีใจเหรอ(マイ・ディージャイ・ロー)|うれしくないの?
和訳:うれしくないの?
ดีใจ(ディージャイ)は「うれしい」。ไม่(マイ)で否定し、เหรอ(ルー)を加えて「うれしくないの?」と相手の反応を確かめています。この前後には「何してたの?」「もう食べた?」といった、家族同士の短い質問も続きます。
ขอติดไปด้วยได้เปล่า(コー・ティット・パイ・ドゥアイ・ダイ・プラーオ)|一緒に乗せていってもいい?
和訳:一緒に乗せていってもいい?
相手の移動に自分も一緒に行きたいと頼む場面の表現です。ได้เปล่า(ダイ・プラーオ)は、会話の中で「できる?」「いい?」と可否を確かめる形として使われています。
อ่านไลน์…หรือยัง(アーン・ライン…ルー・ヤン)|LINEもう読んだ?
和訳:LINEもう読んだ?
หรือยัง(ルー・ヤン)は、ある行動がもう済んだかどうかを確かめる形です。映画では家族間でLINEを読んだか確認する場面に出てきます。日常生活にそのまま結びつきやすい短い質問です。
ขอทำใจก่อน(コー・タムジャイ・ゴーン)|心の準備をさせて
和訳:心の準備をさせて
ทำใจ(タムジャイ)は、文脈によって「気持ちを整理する」「受け入れる」「覚悟する」に近い意味になります。ここでは、すぐには受け止めきれない出来事に対して、気持ちを整える時間を求めています。
こうした質問や短いやり取りは、タイ語の基本フレーズ100選やタイ語の疑問文と合わせて見ると整理しやすくなります。
家族・介護・華人系の文化が見える言葉
この映画では、一般的なタイ語教材だけでは見かけにくい家族の呼び方も頻繁に出てきます。
- อาม่า(アーマー)|祖母を呼ぶ語
- อากง(アーゴン)|祖父を呼ぶ語
- เฮีย(ヒア)|年上男性などへの呼びかけとして登場
- เจ๊(ジェー)|年上女性などへの呼びかけとして登場
これらを「タイでは全員こう呼ぶ」と一般化するのではなく、この作品の家族や人物関係の中で使われている呼び方として見るのが適切です。一般的な家族語はタイ語の家族・友達の呼び方、พี่(ピー)・น้อง(ノーン)・คุณ(クン)などの呼称はピー・ノーン・クンの意味で整理しています。
ดูแล(ドゥーレー)|世話をする、面倒を見る
和訳:世話をする、面倒を見る
映画では「病気の親の面倒を見る」「子どもが母親の面倒を見る」といった文脈で、ดูแล(ドゥーレー)が重要な動詞として使われます。人を継続的に気にかけ、世話をする意味を持つ言葉です。
กูนับถือเจ้าแม่กวนอิมนะ กูไม่กินเนื้อ(グー・ナップトゥー・ジャオメー・クワンイム・ナ/グー・マイ・ギン・ヌア)
和訳:私は観音様を尊敬しています。私は肉を食べません。
観音への信仰と、肉を食べないことを結びつけて話す場面に出てくるセリフです。宗教、食習慣、家族背景が一つの会話に現れています。ただし、これを「タイ人一般の習慣」と広げず、この作品内の人物の信仰や家庭背景として扱う必要があります。
เป็นสิทธิ์ของอาม่า ที่อาม่าต้องรู้(ペン・シット・コーン・アーマー・ティー・アーマー・トン・ルー)
和訳:それは祖母の権利です。おばあちゃんなら知っているはずだ
「おばあちゃんには知る権利がある」という趣旨のセリフです。家族は病気について本人へ知らせるべきか迷っており、「知らせない方が本人のためなのか」「本人には知る権利があるのか」という葛藤が表れています。
名言と哲学|お金より「時間」が大きくなる
เราไม่ได้มาทำให้เขาเสียใจ(ラオ・マイダイ・マー・タム・ハイ・カオ・シアジャイ)
「悲しませるために来たんじゃない」
เรามาทำให้เขามีความสุข(ラオ・マー・タム・ハイ・カオ・ミー・クワームスック)
「幸せにするために来た」
この二つは対になったセリフです。ทำให้(タム・ハイ)+人+状態という形で、「人を~させる」という意味を作っています。介護を単に「何をしてあげるか」ではなく、相手を悲しませるのではなく幸せにすることとして捉える場面でもあります。
เวลาเว้ย เฮีย(ウェーラー・ウェーイ・ヒア)|それは時間だよ
年を取った人が本当に欲しいのに、子や孫が十分に与えられないものは何か、という問いに対して เวลา(ウェーラー)「時間」と答える場面があります。お金や遺産をめぐる話から始まった物語の中で、老人が求めるものとして「時間」が示されます。
さらに後半では、患者に เวลา(ウェーラー)をたくさん使うことが大切だという趣旨の言葉も出てきます。初級単語としては単なる「時間」でも、この映画では誰かのために自分の時間を使うことという意味へ広がっていきます。
ลูกชายได้สมบัติ ลูกสาวได้มะเร็ง(ルークチャーイ・ダイ・ソムバット/ルークサーオ・ダイ・マレン)
和訳:息子が宝物を手に入れる 娘が癌になる
「息子は財産を、娘はがんをもらう」という対比で、誰が親の世話をし、誰が財産を受け取り、誰が負担を背負ったのかという家族内の不公平感を強く表しています。ลูกชาย(息子)・ลูกสาว(娘)のような家族語彙は、タイ語の家族・友達の呼び方でも確認できます。
เอ็มให้ม่าเป็นที่หนึ่งนะ(エム・ハイ・マー・ペン・ティー・ヌン・ナ)|ばあちゃんは僕の一番だよ
和訳:ばあちゃんは僕の一番だよ
物語の前半では「自分が祖母にとって何番目なのか」が繰り返し話題になります。しかし終盤では、Mから祖母へ「ばあちゃんは僕の一番」と向きが逆になります。同じ「一番」という言葉でも、物語の最初と最後で意味が変わるセリフです。
ジョーク・皮肉・強い口語|映画だから分かる距離感
この作品は重いテーマを扱いますが、家族同士や親しい人物の会話はかなり砕けています。
มึงจะบ้าเหรอ(ムン・ジャ・バー・ロー)|正気?
和訳:正気?
มึง(ムン)はかなり強い二人称です。映画の会話を理解するためには知っておきたい語ですが、日本人学習者が相手を選ばず使える表現ではありません。
หลอกกูได้เหรอ(ローク・グー・ダイ・ロー)|私をだませるとでも?
和訳:私をだませるとでも?
กู(グー)もかなりくだけた一人称です。親しい間柄や荒い会話で現れる語なので、意味を理解するためのタイ語と、自分が実際に使うタイ語は分けて覚える方が安全です。
นกที่ตื่นแต่เช้าน่ะ หาหนอนกินได้ก่อน(ノック・ティー・トゥーン・テー・チャオ・ハー・ノーン・ギン・ダイ・ゴーン)
「早起きの鳥は虫を先に捕まえられる」
これに対して、
หนอนที่ตื่นเช้าน่ะ โดนนกแดกก่อน(ノーン・ティー・トゥーン・チャオ・ドーン・ノック・デーク・ゴーン)
「早起きした虫は先に鳥に食われる」
と返します。「早起きは有利」という考え方を、虫の側から見れば逆だとひっくり返すジョークです。แดก(デーク)は「食う」に近い荒い語なので、丁寧な会話向けではありません。
終盤でも、เลขอะไรก็เหมือนกัน พวกมึงไม่เคยถูกเลย(レーク・アライ・ゴー・ムアンガン・プアック・ムン・マイ・クーイ・トゥーク・ルーイ)「何番でも同じ。どうせ当たったことない」という宝くじをめぐる軽口が出てきます。深刻な出来事を経験した後でも、家族の会話の調子は完全には変わりません。
まとめ|この映画は「タイ語を人間関係の中で見る」教材になる
『おばあちゃんが死ぬ前に億万長者になる方法』には、旅行向けの定型表現だけではなく、家族間の感謝、質問、心配、介護、強い口語、信仰や家族背景、そしてお金と時間についての言葉が数多く出てきます。
特に印象的なのは、เวลา(ウェーラー)「時間」という非常に基本的な単語です。お金を得たいというところから始まった物語が、最後には「誰かのために使った時間」の話へ変わっていきます。
単語や文法だけでなく、そのタイ語が誰から誰へ、どんな感情で使われているのかまで見られるのが、映画でタイ語を学ぶ面白さです。
ほかの作品はタイ映画で学ぶタイ語|参考作品一覧にまとめています。


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